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会長の部屋

随想録

2018年5月25日

海外生活の思い出(パキスタン編-その6)

ある日、仲良くなったパキスタン人のエンジニアの自宅に招待されたことがある。エンジニアという地位はそれなりなのだろう、若い人物ではあったが裕福そうな住居であった。そこには、マンゴーの木がたくさんあり、とてもおいしかった。話を聞くと、マンゴーは半年以上味わえるそうだ。色々な種類があり、時期ごとに品種が変わって味わえると。今ではなじみのある甘ったるい味。それとは正反対の固く・すっぱいもの。豊富な果物だそうだ。その時まではマンゴーというものを知ってはいたが、欲しいとは思わなかった。しかし、本物を食べたときの味は忘れていない。

建設工事もほぼ完了し、いよいよ試運転。年産50万トンのセメントを製造するプラントだ。色々な苦難を乗り越えて完成したセメント工場。原料受け入れ部門から試運転を開始し、原料製造部門へ。そしていよいよ心臓部の焼成部門の火入れ。初めてのクリンカー焼き出し(これを粉砕してセメントを作る)。そして最終工程設備の運転開始と、順調に進んだ。セレモニーには、パキスタン首相も来訪される国家事業。やり遂げた時の達成感は大きかった。ただ、アラブでもそうであったが、セレモニーの際によくやられるヤギの生贄行事には、最後まで慣れなかった。

こぼれ話を一つ、協力商社(住友商事)の人と一緒に大都市のひとつ、ラホールにある一流ホテルに滞在した時のこと。チェックインの時に「部屋は2階以下にしてくれ」と頼んでいた。どの部屋でも構わないと思っていた私にはちょっと意外であったので、後で「何で?」と聞くと、もし何らかの災害に見舞われたときに、直ぐに逃げられるようにとの身についた習性のようだった。一匹狼のように世界を飛び回る商社マンは、自分の命は自分で!が鉄則のようだ。

パキスタンでの思い出はこれくらいにして、次は別の国に飛んで行こう。(続く)

有田信二郎