2019年3月1日
最後の赴任地となったサウジアラビアには色々な思い出がある。
この頃は色々なプロジェクトにスポット的に滞在することが多かったのだが、サウジには少し長い滞在が数回続いた。現場は西の紅海側に位置するDUBAという場所である。現場近くにはフェリー乗り場があり、対岸のエジプトやスーダン、ソマリヤ等から船が行き来していた。このように書くと、ちょっとした町なんだろうと思われるかもしれないが、広大な砂漠の延長にあるひっそりとしたところであった。DUBAに行くには、先ず首都であるリヤドで入国し、そこから空路で西に位置するTABUKという町まで飛んで行く。そこから車に乗り込み、南西に確か4時間くらいかけて到着という結構大変なところだった。車での移動は砂漠の中に作られている一本道の道路をひたすら走り続けるという状況。周りには所々に岩がそびえ立っていたのだが、その側壁を見てちょっとびっくりした。付いている縞模様がすべて水平である。つまり、砂嵐で削られた痕だとのこと。この辺りでは雨が降ることはないので当然ではあるが、その姿は日本人の私には異様であった。また、ふと思ったのが「ここで殺されて砂の中に埋められたら、たぶん捜索不可能だろうな」ということ。辺り一面荒涼とした砂漠で、ほとんど目印になるものがない。酷暑の地ではあったがちょっと背筋に寒気を感じた。
ある時、懇意にしていた現地のエンジニアにこんな質問をした。「砂ばかりで乾燥しきったところから離れて、日本に住んでみないか?」と。すると彼は「絶対にイヤ! あんなジメジメとしたバイ菌だらけのような場所には住みたくない」と。確かに、酷暑ではあるが、さらっとした空気感に馴染んだ人たちからは、日本はそのように見えるのだなと思った。
建設現場に近づくと、以前行っていたパキスタンをちょっと思い出すような雰囲気の所だった。サイト内には、工場建設の敷地以外にも居住区があり、その一角に私たち日本人の住居を貸していただいており、食事も近くにある食堂で食べることができた。また、居住区内には、要人の宿泊所もあり、大きなソファーや豪華な照明、そしてゆったりとした空間があった。彼らの象徴であるモスクからは、毎日5回のコーランが流れてきて、アラブの国にいることを強く実感した。
・・・続く
有田 信二郎