2023年5月9日
2年後に開催される大阪万博、53年前の1970年にも開催されていた。当時大学生であったが是非見てみたいと思い、人混みに揉まれながら見学に行った思い出がある。強烈な印象はやはり太陽の塔だが、未来を夢見る試作機器も多数あった。今では当たり前となった携帯電話。当時は大きなバッテリーを肩にかけ、押し釦のついた電話機を得意げに耳に当てて電話している風景があった。この半世紀で生活様態も大きく変化していることを感じている。
先日のNHK番組で落合陽一さんがプロデュースするパビリオンについて触れていた。テーマは『未知の風景』だそうで、生と死についての問いかけとなるとのこと。AIおよびロボット技術の進歩により自分と全く同じアバターができる日がそう遠くない時期に実現し、「人間とは何か」について真剣に考えなければならない時がやって来る由。自分自身に置き換えてみると、私という存在がアバターに移植され"永遠に生き続ける"ということになる。これは果たして望まれる状態なのだろうか?人は「死」があるからこそ「生きる」意味がある。永遠、つまり死なないとなれば、生きるということも意味がないように思う。一方で、愛犬について思えば、いつまでもそばにいて欲しいと願う。アバターは意識(心)を持たない存在であって欲しいと願うのは私一人だけだろうか。
有田 信二郎