2022年2月17日
先日、宇部手話会の50周年記念式典に来賓出席した。50年つまり半世紀前という時の長さは、若い頃には"昔々"という感じであったが70歳を過ぎたこの年になるとそんなに昔という感覚ではない。記憶に鮮明に残っている出来事として万国博覧会、そしてシンボルタワーであった太陽の塔。高度成長時代の締めくくり的な存在としてエネルギッシュな人間社会を表しているようだった。宇部空港も開港しており、YS11という日本製のプロペラ機が大阪へも飛んでいた。第一次オイルショックもあった。今も原油高によるガソリン価格の上昇という現象が起きているが、当時は第四次中東戦争の影響で狂乱物価となり、トイレットペーパーが無くなるというとんでもない事態が発生したことを思い出す。外国為替にも大きな変化が訪れた。固定相場制から変動相場制へと移行し、1ドル=360円だったものが一気に円高へと進んできた。1970年代後半頃から海外向けプラントビジネスに携わってきた私にとって、この為替変動は身近な問題として記憶にある。
前述の手話会記念大会でも当時の状況を話されたのだが、FAXはまだ無く、聴覚障害者への連絡方法は一軒一軒足で回って直接伝えるやり方であったとのこと。私の記憶でも海外からの連絡方法は、電話以外ではテレックス(ある種の信号通信)のみだった。
半世紀、長いようで短い時の流れではあるが、技術の進歩という面では途轍もない変革が起きてきている。
有田 信二郎