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会長の部屋

活動日記

随想録

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2021年8月31日

色覚障害(赤緑色盲)について

赤緑色盲というのをご存じだろうか? 色覚障害の一つで昔は"色弱"と呼ばれていた。
先日、東京在住であった2歳年上の兄が亡くなってしまった。二人っきりの兄弟であったので、心の中にすきま風が吹くような感覚も味わっている。私たち兄弟は共に色弱であり、小さい頃から色々なエピソードがたくさんある。小さい頃は学校で色盲検査があり、いつも引っかかっていた。「こんな検査、同じことを何回もやることないのに!」と思ったりもしていた。ただ、子供の頃から自分の"できない(不自由)"を知っていたことはよかったと思っている。少年時代のある時、兄と私がグミの木に手を伸ばして実を採っていた。私たち兄弟にとっては『触って柔らかければ熟れている』という経験則で熟れた実を採っていたのだが、近所のおばさんから「あなた達何してるの?」と不思議がられた。グミの実は熟れると緑から赤に変わるとのこと。赤緑色盲の私たちにはその変化が判らないのだ。学生時代にも大変さはあった。大学受験で、色弱のものは理系には入れないという欠格条項があった。半世紀以上も前のことだが、これには大いに困った。兄も私も理系が得意で文系は苦手。そんな私たちが、理系はダメと道を閉ざされればどうしようもない。幸いにも一部の大学が道を開けてくれていたので、共に工学部に入ることができた。兄は博士号も取得しており、赤緑色盲だからできないということはないと立証した。その兄が亡くなり、人生の儚さを痛感している。人生とは何なのだろうか? 悔いの残らない"自分らしい人生"を歩み続けたい。

有田 信二郎