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会長の部屋

随想録

2018年2月15日

海外生活の思い出(パキスタン編ーその1)

5回に亘って UAE での思い出を書き綴った。まだまだ沢山のこと、たとえば、対岸で勃発したイ・イ戦争(イラン・イラク戦争)、唯一あったホテルに宿泊しているヨーロッパ人とのダーツゲームのために工夫した自分流の手作りダーツ、等々、いろいろなことが頭に浮かんで来る。当時は仕事の大変さに精一杯の状態であったことが、時が経てばよい思い出になるのだと実感。人間って面白いものですね。

UAEでの2つのプロジェクトを終え、次なるプロジェクトへと移って行った。その場所はパキスタン、時期は1980年中頃であった。現在の首都は内陸に位置するイスラマバードであるが、当時は沿岸部のカラチであり、いろいろな物資が豊富で、また日本も含め多くの国々が支店を出している国際的な都市であった。現地赴任時にちょうど遷都が行われている時期であったので、建設中のイスラマバードに旅行気分で出かけてみたが、だだっ広いところに巨大なモスクがそびえ立つ、異様な光景が頭に貼りついている。なんでわざわざ内陸の僻地に遷都?と思ったのだが、沿岸部のカラチは、経済の中心としては好条件ではあっても、防御の観点からのものだったのだろう。この地域、現在では色々な過激集団が暗躍するアフガニスタンに近く、ちょっと車で走ればカラコラム山脈である。ちなみに、孫悟空で有名な三蔵法師がインドにやってくる際に越えた大きな峠がここであるそうだ。暑い国なので半袖姿で訪れていたが、峠を登って行くとだんだん寒くなり、毛皮のコートや帽子を売っている店もあった。こんなに気温差があるのだなと感じた。

もう一つ、カラチ付近に、インダス文明の遺跡として有名なモヘンジョダロがあり、そこも訪れた。すでに観光地化していたため、現地の人から「この仏像、ここで発掘されたものだよ。大変貴重なものだが、安くするので買わないか?」とポケットから陶器のような仏像を出して見せられた。確か数万円くらいの値段であった。まがい物であることは一目でわかったので、適当にあしらったが、この手の商売をしている人たちが結構居た。

さて、次回からはこのパキスタンでの思い出を綴ってみる。(続く)

2018年2月15日 有田信二郎