子どもの頃、夏休み中の8月21日は毎年登校日だった。子どもの頃も暑かったが、当時はそれほど暑いとは感じなかった。
私の育った地域では8月21日にお大師講があり、登校日の帰り道、近所の友だちと「お接待」に行く時間やお接待が回る順番など話しながら帰るのが楽しみだった。
早々に昼食を済ませると、袋に米を入れてもらい「とうや」へ安置されたお大師様へお参りに行く。持参したお米を一握り供え、お参りを済ますとお接待(お菓子)をいただき、次のお大師様へと田舎道を歩いて行く。子どもの数も多かった時代で、子どもらは集まったり離れたりしながら賑やかな午後のひと時だった。
お大師講は信仰心による宗教行事だと思っていたが、長じて主婦だけが集まって食事をこしらえ、夜は念仏を唱える様子を見たときに、必ずしも信仰心だけのものではなく、真夏の辛い農作業の合間に女性たちが集まって、賑やかに話をすることで息抜きにもなったという地域コミュニティの側面もあったのだろう。
「お大師講」は最近まで続いていたようだが、高齢化によって廃れてしまったと聞いた。失ったものは本当にそれだけなのか? 耕作放棄されたかつての水田跡を眺めながら考えた。
投稿者 コミュニケーション支援室 カジカ