先日、社会福祉士をめざす大学生二人が実習にやって来た。
彼女たちへは、本会が行なう障がい者支援に関する業務を説明させていただいたが、その中で、障がい者に対する「差別的なことば」や「不適切なことば」について触れてみた。
かつて、私たちの社会の中には障がい(者)に対する様々な差別的なことばがあり、残念ながら無意識かつ日常的に使用されていた。
しかし、人権意識の高まりや官民挙げての差別解消の取組みによって、近年ではそうしたことばを聞くことがなくなった。
そうした社会的変化はあったものの、将来、福祉の仕事に携わるであろう若い彼女らが、用いてはならない不適切なことばを知識として持っておくことは決して無駄ではないと考え、いくつか例を挙げて説明し、それらのことばの認識を訊ねてみた。
すると、意外にも彼女らからは、例示したことばのほとんどを聞いたこともないし、使ったこともないと答え、それらことばの意味も知り得ないとのことだった。
この結果は、かつて私たちが耳にする機会があった障がい(者)に対する不適切なことばが、彼女らが今の年齢に至るまで、彼女らの周囲では使われなかったことを意味している。
これは大変素晴らしいことであり、喜ぶべきことである。この背景には人々の人権意識が成熟化したか、あるいは若者たちの生活環境下で不適切なことばの伝播がなかったかのいずれかが推測できよう。
「ことば」は、人と人が意思を疎通し合うための大切なコミュニケーションツールであるが、一方でその使い方を誤れば人を侮蔑し、怒らせ、悲しませるなど凶器にもなってしまう。
ただ単に、差別的なことばを使わなければよいというのではなく、そうしたことばと向き合うことも大切である。そのうえで、差別的なことばや不適切なことば、人を不快にさせてしまう恐れがあることばは使用を避けるなど、積極的な姿勢や取組みが求められる。
さきに全米オープン女子シングルスで二度目の優勝を果たしたプロテニスプレーヤーの大坂なおみ選手は、米国のインターナショナルマガジン「Esquire」誌に、『「人種差別主義者ではない」ことだけでは不十分。「反人種差別主義者」であることが必要であり、重要だ』(要旨)と語ったが、こうした確固たる信念をもつことが肝要なのだ。
いつか、差別的なことばや不適切なことばが死語になり、ことばによって誰をも傷つけない、誰もが傷つかない社会になってほしいと心から願っている。
投稿者 コミュニケーション支援室 つゆくさ